2009年9月11日金曜日

オマー・エドワーズ 裸足のタップダンサー

 東京・丸の内にある「コットン・クラブ」。1920年代の禁酒法時代からニューヨークのハーレム地区にある有名なナイトクラブの東京店だが、10月にデューク・エリントン・オーケストラが来日し公演を行っている。その中日に、ゲストとして出演したのが、オマー・エドワーズ(OMAR EDWARDS)だ。彼は、生粋のハーレムっ子で、いま一番人気のタップダンサーだ。タップダンスというと、年配の方は、ミュージカルの至宝「フレッド・アステア」そして「ジーン・ケリー」を思い出すだろう。日本だと中川三郎かな。でもいまは、タップは、表現のみならず楽器としてより機能している。オマーは、ジャズとタップを融合した新しいエンターテインメントで、トニー賞も取っている。今、日本でもタップダンサーが育ち始めていて、熊谷和徳というイケメンのタップダンサーが、多くの若い女性ファンを魅了している。その彼も、オマーのダンススタジオでレッスンを受けた一人だ。オマーの魅力は、その表現力と力強い偏平足である。足がでかい!強い!半端な音ぢゃあない!彼はタップシューズで踊ることもあるが、裸足でタップを踏むことで有名だ。まるでアフリカの土着の人間のように土(ステージ)と一体化している。その足が打ちつける音は半端なくステージを響かせる。そして、それが私の体から心まで打ち震える。でも彼は、普段は大都会NYの陽気なナイスガイだ。モデルのように背が高くてかっこいいやさ男。しかし、彼がタップを踏み始めると、なにも背景がないのに、突然アフリカの赤い大地が見えてくる。戦場の凄惨な光景が浮き出てくる。打ち付けられる雨が冷たかったり、つましいけれども幸福な家族のすがたが見えたり、限りなく続く草原に吹き抜ける風を感じたりできる。タップで歌を歌っているようにも詩を語っているようにも見える。タップの名手といえば、映画「ホワイトナイツ」に俳優として出ていた故グレゴリー・ハインズがいた。が、いまの双璧は、私は、セヴィアン・グローバーとオマーだと思う。セヴィアンが、2000年のバーブラストライサンドのミレニアムコンサートで踏んだタップは、表現者として圧倒的な存在感を示した。(Timeless - Live in Concert (2001))セヴィアンとバーブラの話は、いつかするとして、、、このセヴィアン・グローバーが、オマーの先生であり従兄弟なのだ。血は争えないと思う。オマーのコットン・クラブの出演は、もう終わってしまったから、彼を生でみるには、ハーレムに行くか、横浜ランドマークタワーの夏の恒例になっている「ハーレムナイト」に行ってみるしかない。(来年になっちゃうね!)目の当たりにしていない人には、この感動は、わからんだろうなあ。 オマーにまた来日してもらうように、なにか企画してみますかな。

ふじうらは、死して「ふじうら.こむ」を残す

私の会社の仲間で、ふじうら君というひとがいた。若いときは、コピーライター、CMプランナーだったが、ミュージシャンでもあり名の知れたMac使いでもあった。昔の言い方だとマルチメディアディレクタってやつをやっていた。私のところに来たときには、一見、図体のでかいこわもてのおっさん風になっていたが、人生の遊び方がとても素敵なやつだったもんだから、いつも傍らにいてほしい存在だった。彼は、いろいろな楽器が扱えたが特にベーシストとしての才能に秀でていた。会社じゃあ小うるさい白髪のおっさんなんだが、ひとたびステージに立つと陽気で素敵な伊達男になっていて、その流れるように奏でる指先は、鮎のように滑らかなきらめきで、女性でなくても惚れてしまう艶っぽさがあった。私のところにいたときに、ステップ休暇や有給休暇をめいっぱい使ったら何日休めるかを真剣に計算し80日間アジア有給放浪の旅ってのを認めてくれと言ってきた。あんまり面白かったので、会社に掛け合って送り出したこともあった。家族にもいろいろ迷惑かけたんだろうなあとは思うけれども、ほんとにすごいひとで、会社にあっても自由人を貫いた。東工大大学院に行っていた理科系のあたまも持っていたので、早くからパソコン通信をやりインターネットの時代になってからは、「ふじうら.こむ」というサイトを作っていた。その彼が、今年、癌でなくなった。われわれは、楽しいやつを失ったことを大変残念に思い、悲しんだ。
ながなが書いたけれども、ここからが言いたいこと。彼がいなくなったあとも、彼のサイト「ふじうら.こむ」は、息子さんたちが管理してくれていて、いまも存在している。このサイトにはいろいろ面白いコーナーがあるが、実は、ラグタイムを中心とした音楽の譜面検索リスト(List of Lesson Soft)、関連サイトのリンク集にもなっている。これは、彼の音楽に対する愛情と情熱、幅広く且つ奥の深い博識、きめ細かな取材と緻密な分析、世界中にいる幅広い友人関係、大金をはたいて揃えた楽譜、資料、ビデオ、DVD、レコード、テープ、CD群の成果である。おそらく個人でココまでそろったデータベースは少ないだろう。日本でラグタイムやブルースなど音楽を楽しむ人や学ぶ人たちだけでなくプロの人たちにも大事なサイトになっている。これが散逸しないことを望むのは私だけではないだろう。息子さんたちにはご苦労なことだとは思うけれども、少なくともサイトだけは、維持しておいてほしい。会社ではあまり成果を挙げてくれなかったが、音楽の世界では大変な偉業を打ち立ててくれた。これが文化っていうもんじゃないかな。まさに、ふじうら君は、死して「ふじうら.こむ」を残した。ありがとう。合掌。興味沸いたら、いまもある「ふじうら.こむ」にぜひ行ってみてください。http://www.fujiura.com/index.htm

148円のゴクラク

プロデューサーは、なにかに固執するようなひとのほうが成功する。などと言われますが、残念ながら、私にはそんな執着心がないようで、せいぜいが●×ファンというくらいの可愛いものです。ご飯も好きですが、実は、菓子パンファンです。一時、アンパンに凝っていたときがありました。そのときの私の一押しは、秋葉原駅構内のミルクスタンドのアンパンでした。御茶ノ水行きの総武線ホームにあるスタンドで、ビン牛乳とアンパンを一つづつ買って、電車がくるまでに、アンパンをほおばりながら、牛乳を一気に流し込む。もちもちしたパンの食感にちょうどよい甘みのアンコが、牛乳とともに口の中に広がっていくと電車が来る。この瞬間の美味しさがたまらなく好きでした。いまもスタンドはありますが、あの牛乳とアンパンはもう扱ってくれていません。
最近は、クリームパンに想い入れしています。クリームパンは、明治時代に中村屋が発売したと言われています。その当時、高価なお菓子であったシュークリームをパンに置き換えて、販売したところ大当たりしたと聞きます。
カスタードクリームが基本ですが、ホイップクリームが入っていたり、バタークリームみたいなものまでクリームパンと呼ばれています。ふっくらとして柔らかで、ちょっと焦げ目のあるパン皮と適度な甘さでキメ細やかなクリームの中身が調和したものが基本ですが、クリームがとにかくやわらかなもの、卵クリームともいえるようなちょっと固めのもの、ホイップとバターの混ぜあわせなどなど、皮のほうも大きいもの小さいもの、焦げ目をわざときつくしたもの、ふわふわしたものなどなど解釈がまちまちだから作りも様々にありますね。どれもクリームパンでよいわけで、好みもあるでしょうが、美味しいと思うクリームパンって結構少ないと思う。私の舌は、少なくともそう言っています最近、東京の高輪にブーランジェ・セイジ アサクラというパン屋さんができたんですが、これが、とてもおいしいパンをつくる。食パンがとてもおいしい。でもね、ここの私のお勧めは、うれしいことにクリームパンなんですね。このクリームパンは、パン皮が、しっとりとしてとても柔らかい。口に含むと程よい甘みが広がってくる。そして、中身のカスタードクリームのきめの細かいこと!練りに練っているのでしょうが、そのくせふわっとしていて、甘すぎない大人の味が口の中で滑らかに解けていく感じ。カスタードクリームっておいしくするのは、結構難しいよね。最近は、クリームパンの専門店もあるようですが、これほど完成されたクリームパンを味わったことがありません。守るべきことがあります。午前中に買いに行って、すぐに食べてほしい。パンも生きものだから、作られて時間を立たずに、あったかいうちに食べることができれば、至極の世界を味わうことができますよ。148円(2009年4月時点消費税込み)の桃源郷。ゴクラク極楽。ああ、美味しい。

役者の重み、存在感-大森南朋-

大森南朋(おおもりなお)という役者がいる。いま話題になっている「ハゲタカ」に出ている。「ハゲタカ」は、NHKで経済ドラマとして2年前につくられた。いわゆるハゲタカファンドと日本の企業との戦いのドラマである。いまの金融工学の壊滅、アメリカ経済が張子のトラだったことの露呈、をどこか象徴している秀逸なドラマだった。ど真ん中で戦っておられた大野先生から、現実のビジネスから見ればつめが甘い!などの声が掛かりそうではあるが、なかなか面白かった。それが今、映画となってヒットしているわけである。出演されている役者さんも、好演されていて、見るものの心を打つ。でもね、みんなイケ面と美人の俳優さん。日本は、今とても美しく演技力もある俳優さんがたくさんいる。この役、ほかの俳優がやっても、違和感ないなあなどと不遜なことを思った。しかし、私が見る中で、どうしてもこの人だけは、ほかの俳優さんが思い浮かばない。主役の天才ファンドマネジャー鷲津政彦は、大森南朋以外考えられない。こいつほんとのファンドマネジャーなんじゃないか?とさえ思わせる。最近、これほどのリアリティのある存在感を感じたことはなかった。存在感というのが、役者の重みになると私は信じている。いまのタレントさん、お笑いさん、役者さんは、ライト感覚が格好良い時代とはいうけれども、軽すぎませんか。皆さん、気が利いていて、ちょっとしたことなら何でもできるようにみえるけれども、あまりにも存在感がなさすぎる。
役者は、容姿や発声、姿勢、演技などを如何に意識しながら研鑽していくものなのか。しかし、そういう努力をいくら積み重ねても存在感というものは別物なのだ。三船敏郎は、その最たるものだろう。どんな役をやっても、三船敏郎なんだなあ、そしてそれが最高なんだなあ。大森南朋は、そういった類の役者なんじゃないかと思う。そろそろ話題になってきたので、6月15日号のARERAの表紙を飾っている。なんだ、結構イカス野郎じゃないの。ええ!彼は、麿赤兒の息子だって?お父さんは、かつて暗黒舞踏のスパースターだった。それがTVや映画にも進出し、怪物的な存在感を発揮してきた。うーん。でも坊主頭でちょび髭のちょっと斜に構えていて、すこしひょうきんなベテランの刑事というところに安住しているんじゃあ、息子に負けるぜ!
この存在感-「ハゲタカ」という作品がそうさせているのか?いやいや大森自身が自分のオーラを発揮させ始めたんじゃないのか?私は、そう信じたい。これからの彼の活躍を注目している。
※(失礼ながら、敬称は、省略させていただきます。)

2009年9月8日火曜日

企業の社会貢献

9月1日付で「シルバーオックス」社が破産した。負債総額57億円。
シルバーオックスは、下着や肌着などを中心に生活衣料を製造する東証・大証1部上場上場会社、昭和16年に創業の老舗メーカーだったが、この不況を乗り切れずに破産に至った。
じつは、私は、小学生の時、ものすごくたくさんの映画を見ていた。
それは、テレビで奥様洋画劇場というのを平日夕方、それも月-金でやっていたからだ。
学校が終わると走って家に戻り、テレビのすぐ前に座って、ひとりでこの奥様洋画劇場を見ていた。(親はなにか忙しくて、いつも家にいなかった)
この番組は、アメリカはもとより、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスなどの古い名作を放映してくれていた。「パリの空の下セーヌは流れる」「第三の男」「アフリカの星」「イースターパレード」「自転車泥棒」、「禁じられた遊び」などなど戦前から戦後の名作といわれるものは、結構網羅されていたように思う。そして、この番組の提供をしていたのが、「シルバーオックス」だった。
「元気で行こう テケテケタッタッタ~♪雄牛のマークの シルバーオックス!オックスオックスシルバー シルバーオックス」というコマーシャルソングを聴いたことがある人もいるかな。
私が、映像コンテンツを手がけるようになったのは、この番組をみていたからだったかもしれない。シルバーオックスは、すくなくとも1人の映像制作者を育ててくれた。これも一種の社会貢献なのではないか?そのシルバーオックス社が、68年の幕を閉じた。深い感謝を感じている。お疲れ様でした。

倒産で思い出すのは、フジテレビが、2000年から放送したドキュメンタリー番組『中国からの贈りもの』シリーズの第一弾の『小さな留学生』(2000年5月5日放送)
この作品の企画を考えたのは、張麗玲(ちょう れいれい )という人で、その当時、東京学芸大学の留学生だった。今は、大富という中国人向けTVチャネル配信の代表になっているが、当時は、映像製作者としては、ほとんど素人であった。彼女は、父親の転勤で日本にやってきた9歳の中国人少女張素(ちょう・そ)が、日本の学校に溶け込もうという姿を是非TV番組にしたいと思っていた。そこで、いろいろなところに飛び込んで言って、フジテレビの技術スタッフの知己を得た。しかし、ドキュメンタリーを撮る段になって、資金が必要なことがわかった。そこから、またいろいろなところに企画書を持って提案しに行った。そこで、日中友好に理解のある会社が資金援助を買って出てくれた。もちろん、局の方々の尽力あってのことではあるがフジテレビで番組化されたのは、ここまで準備ができたからだった。彼女は、その会社に入社することになる。このドキュメンタリー番組は、大当たりしてシリーズ化し、日中の人々の交流に大きな影響を与えた。その大当たりの最中に、支援してくれた会社が、自己破産を申請し倒産・解散した。
その会社は、「大倉商事」、旧大倉財閥のかつての基幹会社だった。TV番組制作だけでなく日中交流にも良い影響を与えてくれた作品を世に送り出すというのも、企業の大きな社会貢献ではないか。苦しい会社事情にも関わらず、社会に貢献するという姿勢を貫いたのは、清清しい思いがする。いま、余力のある会社こそ、このような社会貢献をしていただきたいものである。大倉商事に改めて感謝!

2009年9月7日月曜日

BEGINは、サイコーさあ!

BEGINは、みなさんもご存知のとおり、沖縄を代表する音楽グループ。かれらは、全国区の人気で東京キー局に自分の番組をもっていたりする。彼らがつくる楽曲は、メジャーレーベルだから、皆さんもよく聴いていると思います。でもね、彼らがエライと思うのは、しっかり、地元の音楽活動もしているんだよね。そのなかのいくつかは、沖縄だけしか放送されていないし、
CDも沖縄限定販売されていたりする。私が、好きなのは、沖縄が誇るメジャーなビール会社(国内シェア第5位)「オリオンビール」
のCMソングがタイトルになっているCD「オジー自慢のオリオンビール」だ。
(残念なのは、アサヒビールなんぞと提携し、独立性が失われたことだ。
沖縄だけでやっていくのは、大変だあね。)この「オジー自慢のオリオンビール」もとてもいいんだけど。
B面(CDだから2曲目ですな)の「オバー自慢の爆弾鍋」が
サイコーに好きなのであります。なに?アナタは、聴いたことがない?ふっふっふとちょっと優越感!!(盛んに歌っていた時期があったようなので、ライブ盤やベスト盤には入っている)
(この歌は、メンバーの中の誰かが、自分のお祖母さんのことを歌ったと言っているらしい、、)軽快な沖縄チャンプルー・エイサーのリズムにのった、明るい曲で、
オリオンビールのCMソングとのカップリングを意識していただろうから、
だれでも聞いてくれて乗ってもらえるように曲つくりをしたようである。
リフレインする掛け声も良くできていて、オキナワの代表的な食べ物が並べられている。
ラフティー・ジュウシー・昆布イリチー・ポーク玉子・ソーキそば・タコライス・・・・・・
このリフレインを覚えていれば、オキナワのどの店に行っても、通ぶって料理の注文ができる。
そのリズム感だけでノリノリのまま聞き流すことも楽しい。しかし、私が気に入ったのは。そのノリのいい歌詞に秘められている奥の深さでした。オキナワのどこかにある食べもんやのオバー(おばちゃん)の作る料理は、とても美味しい。なぜならば畑から拾ってきた不発弾くりぬいて作った鍋をつかっているから、と、ふんふんそだね!えっ?そうなの?ほんとにそうかもしれん!
と思ってしまうのが琉球。「わたしゃ、この鍋で次男を大学行かせたぞ。」ってとこもあるんだけど、
長男のときは、生活苦しかったんだ!でも次男のときはがんばったさあ。
ってオバーのいままでの苦労がカラッと表現されていたりする。
「沖縄は面白い、どうして平和通りが国際通りより狭いかね?国際通りはまた渋滞」
結構、きつい表現。オキナワの人たちの積もり積もった思いを突きつけてくる。
ネタばらしは、ここまで。
BEGINが好きで、まだ聴いたことのない人は、今度じっくり聞いてみてほしいですなあ。
「オジー自慢のオリオンビール」(インペリアルレコード)¥ 970 (税込)
調べてみたら、コミックもでているのね。
オバー自慢の爆弾鍋 1 (マンサンコミックス) 天願 大介 (著), こせきこうじ (イラスト) 実業之日本社 (2008/6/28) ¥ 600 (税込)

2009年8月18日火曜日

シンガポールにカジノができるって知ってた?

シンガポールは、みんなも知っての通り亜細亜の巨人「リー・クアン・ユー」が作り上げた、国民が納得づくのきわめて珍しい独裁統制国家といわれていて、街につばを吐くだけでつかまってしま

ったり、街が汚れるのでガムは製造できないほどのクリーンな都市国家でしたが、来年の四月に、

巨大なカジノが2つもできてしまうことになりました。